滋賀県高島市情報サイト


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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照  豆知識コーナー
【高島市とは】
琵琶湖の北西側に位置する滋賀県の市。安曇川河口の三角州を中心に構成される。
自然が豊富で、日本さくら名所100選にも選定されているマキノ町海津大崎には、シーズンになると
10万人を超える観光客が訪れる。またマキノ町のカタクリの花の群生地や今津町のザゼン草、新旭針江区の
川端(かばた)なども有名でその他には安曇川沿いの扇子などがある。琵琶湖周航の歌の発祥の地としても
知られている。 冬季には、市北部のマキノ町や今津町、朽木村などでかなりの積雪があり、それを利用した
スキー場も賑わいを見せる。特に雪が深いのはマキノの在原、野口、今津の椋川、朽木などである。
2003年2月には当時日本の対人地雷処理が行われていた新旭町にて、その処理の終了をきっかけにNPO法人難民
を助ける会との共催で「第1回地雷をなくそう!全国子どもサミット」、引き続き2004年8月に「第1回地雷を
なくそう!世界こどもサミット」が開催された。また、高島市立今津中学校が行っている『アジア子どもプロジェクト』
も有名で、2006年にはネパールからの奨学生を招いての交流を行った。
陸上自衛隊今津駐屯地及び、航空自衛隊饗庭野分屯基地があり、饗庭野演習場を有している。
【高島市の歴史】
9世紀頃の高島郡状況は、『和名類聚抄』によると、木津・鞆結・善積・河上・角野・三尾など10郷の存在の記載が
ある。このうち木津荘(旧饗庭村)は、保延4年山門領に加えられ、富永荘(伊香郡)、栗見荘(神埼郡)とともに、
「三箇庄聖供領(千僧供領)」と言われ延暦寺の重要な経済基盤を担った。
また、安曇川・鴨川デルタ地帯(旧新旭町・旧安曇川町・旧高島町)は、応永29年の『木津荘検注帳』、年次不詳の
『木津荘引田帳』などから条里制が敷かれていたとが知られている。
鎌倉時代初期、近江源氏である佐々木信綱の子佐々木高信が、父信綱より高島郡に所領を分与され高島氏を称し
高島高信と名乗った。高島氏は後に数流に分かれたが、それぞれ高島郡の各所に居城を構え戦国期まで栄えた。
高島一族には、惣領家である高島氏を筆頭に高島朽木氏・高島永田氏・高島平井氏・高島横山氏・高島田中氏が
あった。高島高信以降の高島氏歴代は、高島平野の中央部(安曇川北岸の饗庭野丘陵末端・新旭)にある清水山に
あった清水寺跡に清水山城を築いた。築城の年代は不詳であるが、北野天満宮史料『目安等諸記録書抜(文安4年
12月4日記録)』に、清水寺に関する記録があることから文安4年以降の築城と考えられる。享禄4年より浅井亮政
の侵攻が始まり、永禄11年には完全に浅井氏の支配下に置かれることになった(『朽木文書』史料)。
元亀年間、明智光秀を中心とする織田軍の進攻により高島氏は滅ぼされた。その後、磯野員昌により新庄城に政治
の中心が移ったが、間もなく入城した織田信澄により大溝城に政治の中心が移された。大溝城にはその後、
京極高次らが城主となった。江戸時代の高島郡は、天領・大溝藩および小浜藩の飛び地・加賀藩の飛び地・膳所藩
の飛び地・郡山藩の飛び地・旗本朽木領等が混在していた。江戸時代は、幕府の役所が設置された海津村
(旧マキノ町)と城下町である大溝村(旧高島町)を中心に発展した。
明治時代になり、陸軍の駐屯地・饗庭野演習場が置かれたことをきっかけに今津村(旧今津町)に高島郡役所が設置
され、以後国・県の出先機関は今津に設置されるようになった。
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